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この記事は、私が第二子を8週で流産した体験談です。つわりもあり、心拍確認をして母子手帳をもらった後に告げられた「稽留流産」という診断。
症状や兆候はあったのか、自然排出か手術のどちらを選択したのかなど、ありのままに記録しています。
※この記事にはエコー写真が出ます。ご了承の上拝読いただけますようよろしくお願いします。
5週目の期待と、6週0日の小さな不安
第一子はすぐに授かったため、私は「望めばすぐに妊娠できる」と思い込んでいました。第一子が3歳になったと同時に妊活をはじめ、 自己流のタイミング法で半年、なんとか手にした陽性反応。つわりのような症状も始まり、めまいや食欲の変化に「ああ、赤ちゃんが育っているんだ」と確信していました。
5週0日に受診した際は、まだ胎嚢は確認できず。1週間後に来てくださいと医者から言われその通りにしました。
次に受診したのは6週0日。エコーに映ったのは、
胎嚢(GS)11mm、胎芽(CRL)2.7mm
の小さな命でした。

医師からは特に何も言われませんでした。ネットの平均値と比べては「少し小さめではないか」と思いつつも、赤ちゃんの存在は確認できたため、次の診察で心拍確認できることを楽しみにしていました。
7週5日、幸せの絶頂。心拍確認と母子手帳
そして待ちに待った診察の日は、7週5日でした。
胎嚢は24.4mm、赤ちゃん(胎芽)は10.3mmまで成長し、
心拍も確認できたのです。

この時も医師から心拍が弱いなど特に言われませんでした。つわりも続いており、私も安心しきっていました。
「母子手帳をもらってきてください。分娩の予約もしましょう」
診察の時に希望の産院を伝え、紹介状の発行と初診の予約を取ってもらいました。
そして、その足で役所へ向かい、手にした母子手帳。お腹には妊娠線もでき始めていました。 友人の結婚式への参列も快諾し、私はまさに幸せの絶頂にいました。 まさか自分が流産するなんて、1ミリも疑っていませんでした。
8週2日、天国から地獄へ突き落とされた診察
8週2日。分娩予約をした総合病院の初診を受けに行きました。「今日はつわりが軽い。待ち時間が楽で助かるな」
思えばこのつわりが軽くなった症状が、流産の兆候だったのかもしれません。
長い待ち時間の末に診察に呼ばれ、少し話をして内診台へ上がりました。エコー画面を見つめる医者の無言の時間。
何度も角度を変える機械の感触。そして告げられた言葉。
「残念ですが、赤ちゃんの心拍が確認できませんでした」
3日前には確かに動いていたその命は、もう動いていませんでした。 「稽留(けいりゅう)流産」という冷徹な診断。 それは、天国から地獄へ真っ逆さまに突き落とされる瞬間でした。
残酷すぎる現実
診察室を出た後、震える手で「心拍確認後 流産」を検索し続けました。 さらに追い打ちをかけたのは、会計での出来事です。
「生きている赤ちゃんが確認できなかったため、妊婦健診の補助券は使えません。自費になります」
ただでさえ心が死んでいるのに、この仕打ちはあまりにも残酷でした。まさに「オーバーキル」としか言いようのない、血も涙もない現実が私を襲いました。
他人の幸福を呪ってしまう自分に、絶望した
稽留流産と診断され、手術をすることになりました。手術を待つ間、第一子の幼稚園で開かれたお遊戯会。そこには、目を背けたくなるような「幸せ」が溢れていました。 クラスは第二子ラッシュ。目に入るのは妊婦さんや赤ちゃん連ればかり。 そして、追い打ちをかけたのは、仲の良いママ友の鞄に揺れる「マタニティマーク」でした。
「あのママ友のお腹には生きた赤ちゃんがいるのに、私のお腹の赤ちゃんは死んでいる」
幸せそうな彼女の笑顔を直視できませんでした。 「自分は流産したのに、なぜあなたは妊娠できているの?」「見せびらかさないでよ」 そんな醜く黒い感情が頭を支配し、立っていることさえやっとの状態でした。
手術、そして消えない傷跡
少しでも早く次の妊活を始めたかったため、手術を受けることに決めました。
手術の際に子宮内にある組織を検査に出しました。結果、赤ちゃんはおそらく染色体異常だったことが分かりました。
手術を終えたことで「また妊活ができる」と前向きになれた部分もありました。
しかし同時に、何が何でもまた妊娠してやるという執着に突き動かされました。
しかし、現実は甘くありません。生理を待たずにタイミングを取り続けましたが、半年経っても授からず、夫との仲も冷え切っていきました。 性行為は義務になり、苦痛でしかなくなりました。
そして、1年後にも2度目の流産を経験しました。 現在も長い不妊治療の真っ只中にいます。人にも会いたくない日々が続き、孤独な毎日を過ごしています。
最後に:流産は「乗り越えられる」ものではない
流産をしてから、人と関わるということができなくなってしまいました。幼稚園でのママ友関係、地元の友人など、不意に妊娠や出産の報告を聞くことが耐えられず、こちらからほとんど連絡しないようにしています。
これは自分を守る行動だと言い聞かせながら。
でも生活しているとそういった情報はどこからともなく入ってくるわけです。
夫から「同僚の家に子供が生まれるらしい」と漏れ聞いたり、芸能人の妊娠出産報告を見たり、抱っこひもやお腹の大きくなった状態で送迎に来る園の保護者や、子供に読み聞かせる絵本の登場人物に子供が生まれるのでさえも嫌な感情を抱いていました。
毎日生きるのが辛かったです。
現時点でまだ妊娠できていないので想像ですが、きっとこの気持ちは次妊娠するまでずっと引きずって生きていくことになるような気がします。
私がここまでこじらせた原因は、流産の出来事を理解ある人に話すことができなかったからだと思います。
カウンセリングや不妊治療経験者コミュニティに入って吐き出せていればよかったのかもしれません。嫌なことは一人で抱え込むタイプなのと、夫を含む家族にも流産の悲しみを理解してくれる人がいないと思い込んでいました。
流産から2年たった今、ブログとして共有することでいくらか気持ちが楽になったように思えます。
しかし、この流産から1年後にまた流産を経験し、その後もなかなか妊娠に辿り着けていない状況の中で、努力してもどうにもならないことがあるということを学びました。
その結果、現在は適度に気を抜いて不妊治療をしています。
この経験談が皆様の参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

